紀伊風土記の丘の概要
あらまし
名称
英語で書かれた資料館入り口の表札を日本語になおすと「和歌山県立の考古学と民俗学に関する博物館 紀伊風土記の丘」くらいになります。この名称は施設を適切に表しているように思われます。
その名称の詳細は次のようになるでしょう。
- 「紀伊」は現在の和歌山地方を意味する奈良時代以来の伝統的な地名。
- 「風土記」は、諸国の風土や産物などを記した奈良時代に官撰の地誌。
- 「風土記の丘」として全国にある同種の考古学博物館の共通名称。
創立
紀伊風土記の丘は岩橋千塚古墳群や考古資料などを保全し活用するために1971年に開館しました。
戦後の高度経済成長期が始まっていた1960年代、道路建設や住宅開発のために、重要な歴史遺跡さえもが破壊されつつありました。政府は、それらを保存する施策を採用しました。「風土記の丘」という名称の歴史博物館を開館することがそのうちの一つでした。紀伊風土記の丘は日本に16館ある風土記丘博物館の一つです。
構成要素
紀伊風土記の丘は展示室(2階)、活動スペース(1階)、4棟の移築民家、復元竪穴式住居、植物園、岩橋千塚古墳群を巡る園路などで構成されています。
博物館本館の建物自体が登録有形文化財に指定されています。
常設展示
日本の埴輪
「埴輪」という言葉はもともと「粘土の筒」あるいは「粘土の輪」のほどの意味だそうです。埴輪は大きな空洞の土器です。古墳時代、古墳の上に並べられました。
私は次のことを学びました。
- 埴輪は古墳時代の初めに出現した。
- 最初の典型的な形は円筒埴輪と壺型埴輪だった。
- それから、4世紀に家形、道具形埴輪、動物(鳥)形埴輪が出現した。
- そのあと、5世紀に人物埴輪が出現した。
紀伊風土記の丘で展示されている埴輪
2003年から2005年にかけて、数多くの埴輪破片が大日山35号墳で掘り出されました。発掘された埴輪は復元され、それらの多くが岩橋千塚独特のものであることがわかり、重要文化財に指定されています。大日山35号墳は6世紀前半に築造されたものと考えられています。
和歌山県出土の歴史的遺物展示
紀伊風土記の丘の博物館には歴史的遺物の展示があります。それらは和歌山県内で出土したものです。
民俗資料
展示室には民俗資料も展示だれています.展示品はしばしば置き換えられます。
Exhibition of Folk Articles
民俗資料のコレクションも展示されています。展示物はよく置き換えられています。
どうぞこのウェブサイト内の写真展示室でそれらの写真をご覧ください。
移築民家
四棟の木造移築民家はもともと和歌山県内の他のにあったものです。1971年に博物館が創立したときに移築されました。四棟の木造家屋は江戸時代に建てられました。