歴史 古墳についてのまとめ
このページは古墳について私が学んできたことを蓄積・整理することを目的としています。詳しくは 私の理由をご覧ください。
日本の大型古墳
岩橋千塚古墳群の歴史を考えるとき、古墳時代の日本列島の歴史状況を知ることが有益なことは明白でしょう。大型古墳の分布がヒントになるにちがいありません。200m以上の古墳のリストは次のようになります。(古墳名は宮内庁治定の陵墓を示します。)
3世紀
| 地域 | 古墳名 | 全長 | 時期 | 古墳群名 | 所在地 |
| 奈良盆地南東部 | 箸墓 | 276m | 3C中頃 | 纏向 | 桜井市 |
| 〃 | 桜井茶臼山 | 208m | 3C後半、箸墓のあと | 鳥見山 | 〃 |
| 〃 | 西殿塚 | 234m | 3C後半 | 萱生 | 天理市 |
| 〃 | メスリ山 | 230m | 3C後半から4世紀初頭 | 鳥見山 | 桜井市 |
4世紀
| 地域 | 古墳名 | 全長 | 時期 | 古墳群名 | 所在地 |
| 奈良盆地南東部 | 行燈山 | 242m | 4C前半 | 柳本 | 天理市 |
| 〃 | 渋谷向山 | 300m | 4C後半 | 〃 | 〃 |
| 〃 | 島の山 | 200m | 4C末から5C初め | 馬見 | 奈良県川西町 |
| 〃 | 巣山 | 204m | 4C末から5C初め頃 | 馬見 | 奈良県広陵町 |
| 奈良盆地北部 | 佐紀陵山 | 207m | 4C後半 | 佐紀盾列 | 奈良市 |
| 〃 | 佐紀石塚山 | 218m | 4C後半 | 〃 | 〃 |
| 〃 | 五社神 | 275m | 4C | 〃 | 〃 |
| 大阪府南河内 | 津堂城山 | 210m | 4C後半 | 古市 | 藤井寺市 |
| 〃 | 仲津山 | 290m | 4C末頃 | 〃 | 〃 |
| 大阪府泉南 | 摩湯山 | 200m | 4C後半 | - | 岸和田市 |
| 京都府 | 網野銚子 | 201m | 4C末から5C初頭 | - | 京丹後市 |
5世紀
| 地域 | 古墳名 | 全長 | 時期 | 古墳群名 | 所在地 |
| 奈良盆地南西部 | 室宮山 | 240m | 5C前半 | 葛城 | 御所市 |
| 〃 | 築山 | 208m | 5C | 馬見 | 大和高田市 |
| 〃 | 新木山 | 200m | 5C前半 | 〃 | 奈良県広陵町 |
| 奈良盆地北部 | 宝来山 | 226m | 5C初め | 佐紀盾列 | 奈良市 |
| 〃 | コナベ | 204m | 5C前半 | 〃 | 〃 |
| 〃 | ヒシャゲ | 219m | 5C中頃から5C後半 | 〃 | 奈良県佐紀町 |
| 〃 | ウワナベ | 255m | 5C中頃 | 〃 | 奈良市 |
| 〃 | 市庭 | 253m | 5C | 〃 | 〃 |
| 大阪府南河内 | 墓山 | 225m | 5C初め | 古市 | 羽曳野市 |
| 〃 | 誉田御廟山 | 425m | 5世紀前半 | 〃 | 〃 |
| 〃 | 市ノ山 | 230m | 5C中頃から5C後半 | 〃 | 藤井寺市 |
| 〃 | 岡ミサンザイ | 245m | 5世紀後半 | 〃 | 〃 |
| 大阪府泉北 | 上石津ミサンザイ | 365m | 5世紀前半 | 百舌鳥 | 堺市 |
| 〃 | 大仙陵 | 486m | 5C中頃 | 〃 | 〃 |
| 〃 | 土師ニサンザイ | 300m | 5C後半 | 〃 | 〃 |
| 大阪府三島 | 太田茶臼山 | 226m | 5C | 三島 | 茨木市 |
| 大阪府泉南 | 西陵 | 210m | 5C前半 | 淡輪 | 大阪府岬町 |
| 岡山県 | 造山 | 350m | 5C前半 | - | 岡山市 |
| 〃 | (三須)作山 | 282m | 5C中頃 | - | 総社市 |
| 群馬県 | 太田天神山 | 210m | 5C前半 | - | 太田市 |
6世紀
| 地域 | 古墳名 | 全長 | 時期 | 古墳群名 | 所在地 |
| 大阪府南河内 | 河内大塚山 | 335m | 6C中頃かそれ以降 | 古市 | 松原市 |
| 奈良盆地南部 | 見瀬丸山 | 330m | 6世紀後半 | - | 橿原市 |
私なりのまとめ
岩橋千塚古墳群の被葬者に直接に関係がありそうですので、ヤマト王権と朝鮮半島の関係に私は興味があります。
日本と朝鮮半島の関係を見るまえに、私にはヤマト王権そのものを適切に理解する必要がありまが、大型古墳の分布状況にはそのヒントが含まれているように感じます。
大型古墳のリストから私がわかったことは次のようになります。
-
5世紀における古墳の大きさと数を考えると、その時代に人口増加があったにちがいない。その理由は少なくとも二つあげられるだろう。
- 農地の拡大と収穫量の増大につながった鉄器の普及。
- 摂取栄養の改善につながった蒸し器(甑)や竈などの新しい調理道具の導入
- 大型古墳の分布は、初期の皇室がいくつかの系統に分かれたことを想像させる。厳しい派閥争いがあったのかもしれないが、古墳自体はそのことについての何も語ってはいない。
-
しかしながら、大型古墳の分布はその後継者争いの結果を示しているのかもしれない。陵墓の位置をあわせて考えると、その推移はつぎのようになるだろう。
- 3世紀中頃から4世紀後半まで、奈良盆地南西部の柳本古墳周辺地域 。(最初のヤマト王権)
- 4世紀後半から5世紀の初めまで、奈良盆地北部の佐紀盾列古墳群周辺地域 (奈良盆地南西部の馬見古墳群域からの指導者も政権において重要な役を果たしたにちがいない。)
- 5世紀の前半から6世紀中頃まで、現在の大阪府南部の百舌鳥・古市古墳群周辺地域。
- 6世紀中頃以降、奈良盆地最南部の飛鳥地域。