用 語 集

この用語集では、岩橋千塚古墳群に関する歴史用語を私の理解に基づき私のやり方で説明いたします。ローマ字表記でのアルファベット順に並べています。

土偶 (Dogu)
土偶は縄文時代縄文時代の遺跡から多く出土する素焼きの土製の人形。使い方や目的についてのは諸説あるが、呪術的また宗教的な意味があると考えられている。
瓦器(gaki pottery)
磨かれた表面の炭素が染みこんだ黒っぽい焼もの。平安時代から鎌倉時代まで椀として使われた。
魏(Gi, Wei)
中国三国時代の国の一つで、曹操(Cao Cao)が後漢時代の終わりに中国北部を統一し、魏王となった。220年、曹操の子である曹丕(Cao Pi)が、後漢の献帝(Emperor Xian)に譲位を迫ることによって魏王朝をたてた。都は洛陽(Luoyang)だった。国力は蜀(Shu)や呉(Wu)よりも強かったと言われる。265年に、五代元帝(Emperor Yuan)が譲位し、魏王朝は終わった。そのあと、司馬炎(Sima Yan)が西晋王朝をうちたてた。
土師器(haji pottery)
古墳時代から平安時代にかけてつくられた素焼きの赤みがかった土器の総称。文様はない。弥生土器より発展した。800°Cくらいで焼かれた。
花山 (Hanayama)
和歌山市内にある標高77mの小山の名前です。岩橋千塚古墳群域のもっとも西に位置しています。けれども、特別史跡の指定地域には含まれていません。花山は文字通り「花の山」ですが、過去に、この小山は「埴輪の山」である「埴山(はにやま)」と呼ばれていました。その小山は西に音浦遺跡に面しています。
石包丁(ishibocho, or stone knife)
収穫するために稲穂だけを切って集める扁平な石器。弥生時代、異なる品種の稲が一緒に栽培されたため、収穫期が異なっており、石包丁が役に立った。
伊太祁曽神社(Itakiso Shrine)
平安時代に編纂された『続日本紀』の702年の記事で言及されている神社。「木の神様」として著明。もともと現在の日前宮の位置に鎮座していたと言われている。
縄文土器 (Jomon pottery)
縄文時代に使われた土器の総称。モース博士(1838-1925)が1879年の報告書で初めてつかった用語。最古の縄文土器は12,000年前にさかのぼり、10,000年間使用された。世界最古の土器の一つ。調理用の深鉢が基本的で、70%を占める。焼成温度は800℃。
漢王朝 (Kan Ocho, the Han Dynasty)
漢王朝は中国にあった。それは前漢(202 BCE–8 CE)と後漢(25–220)に分かれる。秦王朝が倒れたあと、劉邦( Liu Bang)が項羽(Xiang Yu)を破り、中国全土を統一した。前漢は中央集権政府を確立した。また、衛氏朝鮮(Wiman Joseon)を征服し、楽浪を含む四つの郡として朝鮮半島北部を直接に支配した。
畿内 (Kinai)
この語はもともと「王城のまわりの地域」を意味した。7世紀の律令に基づく行政区域のひとつ。最初は、山城(京都)・大和(奈良)・河内(南大阪)・摂津(北大阪)で成り立っていた。のち,河内から和泉が分立した。律令国家を形成した氏族の居住地域を行政上特別扱いしたもの
クニ (kuni)
8世紀初頭の律令制で施行された「国郡制」の「国」と区別するために、それ以前のものは「クニ」とカタカナで表記されることが多い。ちなみに、このウェブサイトの英語版では king-led province(王が治める地方) という表記をしている。
日前宮(Nichizengu Shrine
一つの敷地内で並んで鎮座する日前神宮と国懸神宮はまとめて「日前宮」と呼ばれている。ご神体の鏡はいずれも伊勢神宮の神宝である八咫鏡と同等のものとされている。

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『日本書紀』(Nihon-shoki, Chronicles of Japan)
『漢書』『後漢書』にならって編纂された、日本最初の勅撰歴史書。720年に成立した。神代から持統天皇までの歴史を漢文・編年体で記述したもの。
古代史学習者の1人として、どれほどその内容が歴史上の出来事に基づいているのか、私は興味があります。
音浦遺跡(Oto-ura Site)
Hanayama Hill
花山
この遺跡は、東にある花山の近くに位置しています. 古墳時代の竪穴住居と掘立柱小屋のための柱穴が発掘されたそうです。
陵墓 (ryobo)
「みささぎ」とも読む「陵」は、「天皇、皇后、太皇太后、皇太后のための廟」を意味し、「はか」とも読む「墓」はその他の皇族のための墓所を意味する。
政府の宮内庁が陵墓を管理し、考古学者を含む一般人の陵墓立ち入りをほとんといつも禁じている。
その結果、考古学上の研究は研究者が望むほどきちんと行われているわけではなく、状況証拠から陵墓を研究する他にないようである。
日本の考古学者のあいださえ、いくつかの古墳についてはその被葬者についての議論が続いている。
三国時代・中国 (Sangoku-jidai, or the Three Kingdoms Period in China)
漢王朝のあと、220年から280年まで魏・蜀・呉の三つの王国が中国を支配した。この時代は(中国の)三国時代と呼ばれる。この時代のあと、西晋王朝が成立した。
三国時代の直前の184年から220年までは、漢の権威が落ち込む中の混沌とした軍事指導者間の内部抗争で特徴づけられる。220年から263年までの期間は魏・蜀・呉の間の比較的安定した合意で特徴づけられる。
その安定は、263年の魏による蜀征服によって破られ、265年には西晋が成立した。そして最終的には280年西晋が呉を征服した。
石棒(せきぼう) (Sekibo)
縄文時代の男性を象徴する祈りの道具。なかには男性器を写実的に表現したものがある。石棒は子孫繁栄と要作を祈るために使われたと考えられている。ことから、子孫繁栄や豊作を祈るためのものと考えられている。石棒は縄文時代前期に作られ始め、中期には大形のものが出現した。
須恵器(Sue pottery)
須恵器は古墳時代中期から平安時代にかけて作られた。その比較的硬い灰黒色の土器は轆轤で成形され、登り窯において高温(およそ1200°C)で焼成された。主に朝鮮半島からの陶工が製作した。
弥生土器 (Yayoi pottery)
弥生時代につかわれた土器の一般名称。「弥生」は弥生土器が初めて見つかった東京の地名。保存用の壺、調理用の甕、配膳用食器の三種類が一般的。轆轤は使われなかった。焼成温度はおよそ800℃。たいていの場合、弥生土器は縄文土器より薄くて硬い。

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