縄文時代
縄文時代の時代区分
縄文時代は一般的に次の6つの時期に分けられています。
- 草創期: 16,500年前から11,500年前
- 早期: 11,500年前から7,000年前
- 前期: 7,000年前から5,500年前
- 中期: 5,500年前から4,400年前
- 後期: 4,400年前から3,200年前
- 晩期: 3,200年前から2,300年前
◇ 日本の縄文時代は世界的に言えば「新石器時代」に相当するとのことです。
縄文時代の概略
このテーマについて私が学んだのは次のとおりです。
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およそ11,700年前地球環境が大きく温暖化したとき、日本列島周辺の自然環境もまた温帯性のものへと変化した。完新世の始まりであった。
- 海面が上昇し、日本列島は完全に大陸から切り離された。
- 大型動物は絶滅し、シカやイノシシのような中型動物が多く棲息するようになった。
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縄文人は狩猟採集民であった。
- 中型動物や小型動物を、落葉広葉樹や常緑広葉樹の森で弓矢などをつかった狩りをした。
- 貝類を含む魚介類を漁り、山菜を集めた。
- 「縄文土器」と呼ばれる土器で食物を調理することができた。
- 戦争をしなかったといわれている。
- 縄文人は土器、石鏃、骨角性の釣り針、磨製石器などをつかった。
- 彼らは竪穴住居を建て、そこに定住した。
- 彼らは石棒や土偶などを使って儀式を行ったようだ。
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縄文時代は9,000年ものあいだ続いた。
- 言い換えると、90世紀ものあいだ継続したのである。
- 縄文時代の環境は常に同じというわけではなく、やや寒冷な時期もときどきあった。
- 海面はおよそ7,000年前頃まで上昇し続け、ピーク時には現在よりも数メートル高かった。その結果、河口に平坦地が形成された。
- 火山活動を含む気候変化は人々の生活に直接に影響した。自然に対する畏れの感情をもっていたにちがいない。
縄文時代の植生
このテーマについて私が学んでいることは次のとおりです。
- 常緑のカシ類やシイ類を含む暖帯照葉樹林が東海北陸地方よりも西側に広がっていた。
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ドングリなどの堅果類がたくさんとれる落葉広葉樹林が本州の東部と北海道南部に広がっていた。
- 現在、全国で76,000ヵ所みつかっている集落遺跡のうち約85%、発掘されている2,500ヵ所の貝塚のうち2,100ヵ所が東日本にある。
- 北海道北部には針葉樹林が広がっていた。
土器の発明
縄文土器について私が学んだことは次のとおりです。
- 縄文土器は摂氏600度から800度で焼かれた素焼きの土器。
- 鉄分が酸化している赤みがかった軟質土器。
- 耐水性と耐火性のある土器。
- 食料を保存し、調理するのに使われた。
- 縄文人にそれまでより豊かなそしてより安定した生活様式をもたらした。
- 世界最古の土器のひとつ。
縄文土器の変化
縄文土器の変化について私は次のように学んだ。
- 縄文時代早期、尖底の深鉢が中心だった。そして、その後半に平底の深鉢が増えた
- 縄文時代前期には平底の深鉢が定着した。
- 縄文時代中期に豪華な土器が作られた。
縄文時代の道具と技術
私がこのテーマで学んだことは次のとおりです。
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磨製石器
- 磨製石器は木を伐採したり物を加工するのに使われた。
- 竪穴住居の部材も磨製石器で作られた。
- 縄文人は丸木舟を作るのにも磨製石器を使った。
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弓矢
- 石器時代の槍はもはや使われなかった。
- 縄文の狩人は、丸木弓と軽量の石鏃をつけた矢を使って離れたところからイノシシやシカを射た。
- 猟犬が縄文時代早期に現れた。
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ウルシ
- 縄文時代早期の漆塗りの腕輪が函館でみつかった。
- ウルシは日本海沿岸地方に広まった。
- ウルシは日本列島独自のものだった。
縄文時代の住まいなど
このテーマで私が学んだことは次のとおりです。
- 定住したことを示す竪穴住居。防寒が重視されたようである。
- 掘立柱小屋。高床のものもあった。縄文前期に建てられはじめ、中期に一般的になった。倉庫か納屋と考えられている。
- 他に、貯蔵穴、共同墓地、アク抜きのための水場など。
縄文人の食生活
このテーマに関して私が学んだことは次のとおりです。
- 木の実が主食だった。縄文時代、総カロリーの約80%が木の実からだった。
- ドングリ、クリ、トチ、シイなどだった。穀物に近い高いカロリーがあった。
- 他の植物性食物はヤマイモ、むかご、根茎類、わらび、葛などだった。
- すでに述べたように、イノシシやシカなども食した。縄文時代後期には、イノシシを管理しはじめた。
- 加えて、場所によっては魚や貝も重要だった。タイ、スズキ、マグロ、アジ、イワシなどの魚が食された。アサリ、ハマグリ、マガキ、シジミなどの貝も食べられた。